札幌みそラーメンの歴史 — 味の三平・すみれ・純連が作り上げた「北の濃厚みそ」の系譜
札幌みそラーメンはいつ誰が作った?1963年に大宮守人が味の三平で完成させた元祖の味から、村中明子のすみれ・純連が育てた「純すみ系」まで、札幌みそラーメンの歴史と系譜を解説します。
Caprer 編集部
「みそラーメン=札幌」は誰が作った?
日本全国に広まった「みそラーメン」の元祖は、1950年に札幌すすきのに開業した「味の三平」です。
創業者の大宮守人が1954年頃から研究を始め、1963年に正式メニュー化した味噌ラーメンが、今日の「札幌みそラーメン」文化の礎となりました。
大宮守人と味の三平:9年間の研究
大宮守人(1919〜2000)は北海道旭川市出身で、戦後に札幌へ移り、1950年にすすきので「味の三平」を開業しました。
味噌ラーメン誕生のきっかけは、スイスの食品メーカー・マギー社が「日本人はもっと味噌を料理に活用すべき」と主張する記事を目にしたことでした。これに触発された大宮は1954年頃から味噌をラーメンに取り入れる研究を開始。
しかし、単に味噌をスープに溶かすだけでは満足のいく味にならず、試行錯誤を重ねること約9年。1963年に「豚骨・鶏ガラベースのスープに炒め野菜の旨みを合わせ、そこに味噌を溶かす」という現在の札幌みそラーメンの基本形が完成しました。
バターとコーンのトッピングも、この時代に大宮が確立したスタイルのひとつです。寒冷地・北海道の食文化(乳製品・とうもろこし)とラーメンを融合させたことで、全国的に「北海道らしい」トッピングとして定着しました。
「純すみ系」:村中明子が確立した濃厚みそ
味の三平が「みそラーメン」という概念を生み出したとすれば、その濃厚さをさらに深化させたのが村中明子と「純連・すみれ」です。
村中明子は18歳から和食の道に入り、ドイツ・ミュンヘンのレストランで板前として2年間腕を磨いた後に帰国。1964年に札幌市豊平区中の島で「純連(読み:すみれ)」を創業しました。
「もっとこってりして、若い人が集まれるみそラーメン」を目標に、ほぼ独学で現在のスタイルを確立。こってりとした豚骨みそスープ、炒め野菜の香ばしさ、大量のラードを使った力強い一杯は、当時の札幌みそラーメンとは一線を画すものでした。
すみれと純連の分岐
- もともとは「純連(じゅんれん)」と書いて「すみれ」と読んでいた
- 後に読み方を「じゅんれん」に変更
- 現在は「すみれ」と「さっぽろ純連(じゅんれん)」が村中家の関係者によって別々に展開
どちらも「純すみ系」の源流として、全国に多くの弟子・影響を受けた店舗を持っています。
1994年:すみれがラーメン博物館に出店して全国区へ
1994年、新横浜ラーメン博物館の開館時に「すみれ」が出店。それまで「門外不出」とされていた味が全国のラーメンファンに認知されることになりました。
この出店は「すみれ」のみならず、「札幌みそラーメン」全体の知名度を全国に広めるきっかけとなりました。「94年組」として博物館に集まった名店のひとつとして、今日でも語り継がれています。
札幌みそラーメンの2大系統
現在の札幌みそラーメンは大きく2つの系統に分かれます。
元祖・淡みそ系(味の三平系)
大宮守人が確立した「炒め野菜+鶏ガラ豚骨ベースの比較的すっきりしたみそスープ」を基本とする系統。
純すみ系(純連・すみれ系)
村中明子が確立した「こってり豚骨みそ+大量ラード+強火炒め野菜」の濃厚スタイル。現在の東京・全国の「札幌みそラーメン」の多くはこちらの系統に影響を受けています。
彩未:純すみ系の「頂点」
純すみ系から独立した店舗の中でも特に評価が高いのが「らーめん 彩未」(札幌市豊平区)です。
かつて「すみれ」で修業した宮本晃嗣が2000年に独立開業。行列の絶えない名店として全国のラーメンファンが訪れます。ミシュランガイド北海道にも掲載され、「純すみ系の一つの頂点」として広く知られています。
Capreの札幌みそラーメン系統図
Capreでは、味の三平・純連・すみれ・彩未などを含む札幌みそラーメンの全系譜を系統図でまとめています。
- 大宮守人・村中明子の詳細プロフィール
- 純すみ系の弟子・派生店一覧
- 各店舗の創業年・師弟関係・現在の状況